とある駅が廃止となった・・・
新垂井駅の成り立ち
東海道本線を西に向かう時、大垣~垂井~関ヶ原を通過していく。
この区間は勾配がきついため、かつては新垂井駅(Wiki)が存在していた。
輸送力強化のため上りと下りで別の駅にするという大胆な作戦だが、いかんせん地元の人には不便すぎた。
朝は垂井駅から電車にのって東に向かっても、帰りは新垂井駅で下車になる。
しかも垂井駅から新垂井駅は仕事終わりに歩いて行ける距離ではなく、シャトルバスが運行されていたらしい。
列車の性能アップと地元の不満がきっかけとなり列車はすべて垂井駅を経由するようになった。
そして新垂井駅は1986年に廃駅となる。
現在は駅としては使われていないが線路は貨物や特急が利用している。
今回は実際に現地を訪れてみた。
上りと下りの分岐点
画像の中に3本の路線が確認できるが、左から美濃赤坂線、東海道本線(東向き)、東海道本線(西向き)となっている。
特急列車に乗らない限り新垂井駅跡は通過できない。
新垂井駅跡にたたずむ
新垂井駅跡は金網が張られており、立ち入りはできなかった。
反対側のあぜ道からホームがあったと思われる場所を撮影。
ちなみに、この駅を知ったのは西村京太郎の小説、「ミステリー列車が消えた」だった。
テレビドラマ化されており、そのDVDも所有している。
ネタバレになるので詳細は省くが、さすがに無理があるトリックかなと思う。
時代は平成となっても、どこか昭和を感じさせる風景だった。
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